テキスト「天宝の頃、御史大夫の王鉷は罪により死を賜り、役人が太平坊の邸宅を記録したが数日では調べ尽くせなかった。邸内には自雨亭があり軒から水が四方に流れ落ち夏でも晩秋のように涼しく、宝飾の施された井戸の欄をはじめ他の品々もいずれも価知れぬほどであった」