唐末の魏博節度使・羅弘信の神道碑である。羅弘信は文徳元年(888年)、兵士たちの前任節度使・楽彦禎父子への不満を利用し、その地位を奪取。以後、三代にわたり節度使の地位を保ち、後梁へと続いた。