テキスト形のいびつな砕石で、その表面には途切れた文字が数多く刻まれているようだ。 「乾符の政においては、その功により再び節旄を建て、特に皇命を受けて紫塞に赴いた。中使は宋光庭という。公は大順元年二月二十二日...」