浮景舫の造船を取り仕切る者。もとは未央城の造船所の見習いで、「水殿龍舟」の設計に夢中であった。しかし不器用なため、四十になってようやく一人前と認められ、飛来渡の造船管事に任命された。温家からは温寿の名を賜っている。