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南斉の文惠太子が六疾館を建て、「老いては終える所あり、壮にしては用いられ、幼くしては育つようにする。鰥、寡、孤、独、病める者も皆養われる」ことを目指した。 八年前、朝生暮落の害が開封南東部を襲った後、青渓の門人は被害の軽かった杏林村を施薬院に改築した。村人の移住を助けるとともに、ここで患者を収容したり治療したりした。 しかし、施薬院は完成してから織金閣の襲撃を受け続けた。この急襲は青渓の門主孫願が去った後にさらに激しくなり、二年前の洪水前夜に頂点に達した。 織金閣が青渓の手記を奪えたかは不明である。その夜を境に地上の医舎が破壊され、全ての患者と医者たちが姿を消したからである。