テキスト五代後梁の都城・開封城の北城壁西側の門。もとは封丘門と呼ばれ、後梁の開平元年に含曜門と改名されたが、旧名が使われ続けた。後唐の同光元年、李嗣源が大梁を攻めた時、この門を攻撃した。後晋の天福三年に宣陽門と改称されたが、民間では封丘門と呼ばれた。