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飛泉宿は玉門関の外にあり、文書の伝達と軍政・車馬の往来を司っていた。近くに山谷があり、飛泉が青い岩を流れ落ちる。それゆえに「飛泉宿」の名を得たのだ。貞観の頃、唐の軍は宿場の土塀を築き直し、矢楼を立て、馬屋を造った。のちに西戎が境を侵し、往来の文書は途絶えた。飛泉宿は砂漠を堅守した末に、やがて戦火によって滅んだ。今宿場の跡に立てば、目に入るのは涸れ果てた泉の跡と、風に揺れる荒れ草だけだ。崩れた壁と瓦礫、舞い上がる砂塵の中に、残片が一面に広がり、人の気配はなくなっている。