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丁未年の初め、契丹が東京に侵攻し、 焼き討ち略奪を働き、死傷者数知れず。南街の住民たちは協力して抵抗。契丹軍撤退後、西北の老木が焼け焦げながら新芽を吹いたのを「不死樹」と崇めた。 やがて劉知遠が漢を建て帝位に就くと、配下の官人が不死樹を瑞兆とし、近隣住民を強制的に動員し、焼け焦げた枝に油紙で作った花を飾り「瑞祥園」を造営。これを漢帝に献じて、王家の繁栄を祝したが、劉漢は二代で滅びてしまう。 今、新たな宋が立ち上がったが、天下は未だ分裂したままで、国情は前漢より良いとは言えない。皇帝は瑞祥園の話を戒めに、園を改修して「思危園」と改名。民衆に返還することで「徳政を重んじ、慎みを忘れず、国を守り民を安んずる」という意志を示したのである。 建隆元年七月辛未 立