テキスト寿昌院は「長寿は南山ほど、昌盛することは東海に似たり」の意味を持つ。かつては宮城の西、北一帯を指し、軍器監や油酢庫、引見司、麟台などの官庁が立ち並び、沈家、範家、ジャオ家などの高官の邸宅が点在している。往来する者は皆高位高官、商人や貴族の子弟ばかり。宋代に兵部尚書が区画整理し、寿昌院、咸寧坊、天波坊の三坊に再編された。今は金水門通りの南を寿昌院と呼ぶ。