テキスト
「なんと無体な!なんと無体な!」
墨城にそんな長老がいる。正式な号など不要だ。
あだ名が多すぎて、「桶持ち兄貴」と呼べば皆が誰か分かる始末。「怪力王」に「九桶大王」、果ては「お代わり桶」まで、異名は尽きることがない。
鳩長老の決まり文句はただ一つ。「なんと無体な!長幼の序も知らぬとは!」
だが、他の長老が弟子を叱って異名を禁じようとすれば、今度は「なんと無体な。権威で後輩を圧して、どこが兼愛じゃ」と嘆く。
長老たちも苦笑し、結局は彼と共に弟子へ謝罪する羽目になった。
鳩長老の基準は厳格で、相手を選ばない。
授業中、たまたま読んだ文章に「滅茶苦茶だ!こんな空論が文集にあるなど、なんと無体な!」
と激怒したかと思えば、著者が若き日の自分と知れば、「昔の私でも酷評ものだ。こんな駄文を口にする私こそ無体じゃ!全く情けない!」と自らを罵倒するほどだ。
一方で彼の「流儀」は時勢で変わる。若い頃は文津館との交流を「功名を求める儒説を聞くなど無体だ!」
と排斥したが、封山で交流が絶えると「儒を知らずして、どうやって墨の真髄を理解する?なんと無体な!」と一転して重視し始めた。
一見矛盾するようだが、本質は同じ。「その時々の最善を信じ、貫くこと」こそが彼の流儀なのだ。
年を重ね雑事を預かるようになれば、「街中で走るな」「師に礼を言え」と怒鳴る機会は増える。
だが、彼の真意は叱責だけではない。無鉄砲な者には忍耐を、臆病な者には勇気を、恋に落ちた者には真の愛し方を教える。
相手の欠点を正すために厳しく接しつつ、その本質を育むために手を差し伸べる。
これこそが鳩長老の守る「流儀」だ。
人は皆、異なる時代と場所で生きる。「流儀」の違いは当然だ。
だが、誰しもが自分なりの軸を持ち、状況に応じて最善を尽くしてそれを貫く者がいてこそ、世は成り立つのである。