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大切に育てた姫を軍人に嫁がせる、それを伏馬荘が心底快く思っていないのは、燕照も承知していた。不自由な生活や、夫婦の離散はもとより、何せ無情な戦場だ。彼が命を落とせば、妻を未亡人にしてしまう。しかしこの世は常ならず。世宗が北伐途上で急逝し、それを機に伏馬荘は没落した。北伐軍解散後、趙匡胤に従わぬ仲間とともに清河の豊作村に定住した燕照は私塾の先生となり、ようやく記盛に安定した生活させられるようになる。そうして伏馬荘も次第に婿を認め、燕照も妻を寵愛し、細やかな気遣いを欠かさなかった。記盛に高貴な令嬢の高慢さこそないが、象棋にだけは異様に執着していた。彼女の笑顔を守るため、燕照は毎回「自然な負け方」を研究した。手に汗握る攻防の末、さりげなく敗北することで、彼女の情熱を保っていた。 この平和な日々がいつまでも続けばよい、そう願った矢先、突如現れた靖北令が村を揺るがす。北伐軍再結の号令――だがその真意は? 棋盤を前に思索する燕照は無意識に駒を進め、わずか数手で妻を詰ませた。異様な静寂が彼を現実に引き戻した。眼前には憤怒に震える記盛がいた。あまりの羞恥心で震える記盛は、実家に帰るための荷造りを始める。だが、そんな妻に対して燕照はお詫びの言葉ではなくあえて偽りの冷酷さを込めて言い放った。「勝手にしろ! 記盛(きせい)だからって『棋聖(きせい)』気取りか? お前の兄上から『絶対に勝つな』と脅されていなければ、とうの昔に負かしていたさ。もうこりごりだ。早く帰れ!」 記盛の頬を涙が伝う。結婚して初めてのけんか、初めて見る彼女の涙。だが燕照は拳を握り締め耐えた。(何も知らずに去れ……靖北令はただの権力闘争の駒だ。今ならまだお前を守れる) 「……やはりお前は、笑っている顔が一番だ」――遠ざかる妻の背中を見ながら、掌に刻まれた爪痕を隠しながら、燕照はそう呟いた。