テキスト

凶作続きの田畑ではタニシまでが稲の苗を食い荒らし始めた。燕豊は様々な害虫を試食し、結局タニシの肉が最良と確信した。外から来た若者たちが増えるにつれ同好の士も現れ、彼はこの技を伝承しようと決意する。十数年後、完璧に仕上げたタニシ料理は彼の看板料理となった。