テキスト

いわゆる話術とは、まこと人によりけり。たとえるなら夏の虫に氷について説くようなもので、同じ日に語ることすら叶わぬもの。例えば儒者の話術は熟語を多用し、道士の話術は、「無量寿」か「天尊」ばかり。そして和尚の話術といえば、釈迦牟尼仏、不壊金剛仏、宝光仏、龍尊王仏、精進軍仏、精進喜仏、宝火仏、宝月光仏、現無愚仏、宝月仏、無垢仏、離垢仏、勇施仏、清浄仏、清浄施仏、婆留那仏、水天仏、堅徳仏、旃檀功徳仏、無量掬光仏、光徳仏、無憂徳仏、那羅延仏、功徳華仏、蓮華光遊戯神通仏、財功徳仏、徳念仏、善名称功徳如来、紅炎幢王如来、善遊歩功徳如来、闘戦勝如来、善遊歩如来、周匝荘厳功徳如来、宝華遊歩如来、宝蓮華善住娑羅樹王如来......などなど、衆生は平等なれど、観る者の話術と、拙僧の話術とでは、それぞれ異なれども、上下高低の差はない。 和尚の言葉は和尚のものであり、汝の使うものではない。だが、もしそれが汝のためになるのなら、それは和尚にとってこの上なき喜び。観る者にとってもまた幸いなこと。観る者すなわち衆生なり。衆生が救われるならば、拙僧が苦心して筆を執り、この巻をしたためたかいもあるというもの。よきかな、よきかな。 ...... (以下、くどく長ったらしく支離滅裂な数千字もの文章が延々と続く。内容は取り留めもなく、意味は不明。) 宋九注:眠れぬ夜のお供に最適、厠に欠かせぬ良材である!