テキスト

この一生、食むべきものを食み、遊ぶべき所を遊び、見るべきものも見てきた。だがあの雨の夜、濁った川に沈みゆく奇妙な女を思い出すたびに、自分はまだまだ見識が足りぬのだと痛感する。 あの夜、山で玉を採っていたら急に風雨が荒れだした。洞穴を探して雨宿りしようとした矢先、天を裂く雷鳴がとどろき、ぶら下がっていた縄が真っ二つに切れた。俺は崖下へと落ちかけていた。 必死に岩にしがみつくと、二度目の雷鳴が轟いた。周りを見回し、身を寄せる場所を探したときに見たのだ。あの女が雷に追われるようにふらふらと、黒い水の中へ入っていくのを。 女は背が高く、決して小柄ではなかった。だが縮こまった姿は遠目には投げ捨てられた赤ん坊のように見えた。 すすり泣く声を聞いたかどうかは覚えていない。ただ、うなだれて沈黙していた彼女が急に頭を上げ、夜空に向かって鋭く叫んだ。 「屈原よ!国に報いられず、江へ身を投じたとき、貴方もこうして泣いたのか!?」 答えたのは、風と雨だけだった。 女は力を失ったように沈み、やがて水にのまれかけた。 だがその時、風は唸り、薄い影が何重にも揺らめいた。数えきれぬ魂が荒野を駆け抜け、絶叫をあげているようだった。 「頬紅は甲のごとく光り、玉門の雪は刃を鍛える!」と風が叫び、それに応じるように、水中からは「女は男に劣らぬ」と響いた。 稲妻が天を裂き、辺りは白昼のように明るくなった。水面から女が勢いよく立ち上がり、長く伸びた龍の尾を引きずりながら、高らかに鳴いていた。 その時、俺は分かった。あれは大唐の王女なのだと。 あの呼び声は、王昭君や文成公主のような、異郷へと嫁いだ薄幸の王女たちの声だったのだ。 風は唸りを増し、天の扉が開き、豪雨が滝のように降り注ぐ。史書に埋もれて消えたはずの声が、今や天を貫く刃の響きとなった。 彼女は多くの願いを抱えて跳び、自ら龍へと化した。 そして浮かび上がったのは本当に彼女一人ではなく、彼女たち皆だったのかもしれない。 雷雨の中、彼女たちは高みへ、戻るべき場所へ向かって行った。 あの雷鳴と豪雨の中で何を見て、何を聞いたのかは分からない。 ただ胸に湧き上がったのは同情や賞賛だけではなく、血のたぎる感覚だった。力が湧き、岩をつかみ直して断崖をよじ登る決意が固まった。 本を読み、詩を書き、これを記して君に読ませよう。いつ死ぬかは分からないが、少なくともあの日、俺は断崖で死ななかった。彼女もまた、生き延びたのだ。