テキスト

思い返せば、公主がお発ちになったあの日、涼州には雪など降っていなかったはずだ。 公主は私たちを別鶴居に残し、おひとりで望郷台へと向かわれた。 明珠は公主を案じ、灯りをともして差し上げようとしたが、公主は手を振ってそれをお断りになった。 あれほど暗闇を怖がって、毎夜灯りを手にして眠りにつくほどのお方なのに。けれど公主は、望帝郷という名の高塔へ行き、帰り道を映し出してくれる月を探しに行くのだと仰った。 私たちは公主を心配しつつも、その御心に背くことができず、ただ一歩一歩と後ろから付き従うしかなかった。 芳醇な香り漂う酒の池のほとりを歩み過ぎ、連なる雪山へと登り、それから公主が優雅な足取りで望郷台へ入っていかれるのを見送った。 あの日の月光は本当に美しく、公主の鬢に宿る風霜をも洗い流してしまえそうだった。 白衣をまとった公主の身にある飾りは、ただ一本の歩揺だけだった。公主は、私たちまでご自分と同じような、郷を失いし者にしてしまったことを、申し訳なく思うと仰った。 だがどうして公主を恨めようか。もし公主がいなければ、私たちはとうに天を覆わんばかりの風雪の中で凍え死んでいただろう。 私は、望帝郷という名の高塔へと登った公主が、そっと手を伸ばし、淡い霧を払いのけるのを見た。 あの月が、ようやく公主の帰り道を照らしてくださる気になったのだ。 月光は、砕け散った銀の壺のように、公主の眉間から髪先へとこぼれ落ち、俗世へとあふれ出した。その光は池の底に集まり、やがて望郷台を満たすほどに満ちあふれた。 流れ落ちる月の光の中に、公主の姿が浮かび上がる。はっきりと見えた。公主の背後に幾重にも連なる宮殿が、鱗のようにびっしり並び連なり、一輪の牡丹が咲き誇るかのようだった。公主は月光の中でひらりと舞い始められ、まるで嫁ぐ前の頃の、あの明るく麗しいご様子のままだった。私たちも裾を少し摘み上げ、月光を踏みしめるようにして、公主を囲み、拍子を取りながら舞い踊り、彩りの袖が翻っていた。 公主の影、長安の影、そして私の影が一箇所で砕け、月光に醸されて波紋となり、一夜の盛唐を揺らぎの中に浮かび上がらせた。 手のしわがゆっくりと伸びていくのが見える。その一方で、私たちの眉間には、水晶のような風霜が少しずつ積もっていった。月の光は本当に冷たい。骨の髄まで凍りつくほどに。 ああ、そうか。 私の記憶違いだったようだ。公主がお発ちになったあの日、涼州には、実にひどい大雪が降っていたのだ。